オーバー30世代のスクラップ&ビルド

髭や体毛は「永久に不滅」ではない

髭や体毛は「永久に不滅」ではない

加齢にともなって抜け毛の量はどんどん増していき、頭は禿げ上がっていくように感じられるにも関わらず、髭や体毛は放っておいてもどんどん伸び続けていく。

このことに、呆れたり嘆いたりしつつ、悩んでいる人は多いでしょう。

もちろん、頭が禿げ上がっていく気配などがなくても、単純に、濃すぎる髭や体毛は、近年の男性にとっては大きな悩みのタネなのではないかと思われます。

近年は、「髭や体毛が濃い」ということは、男性の外見にとってはマイナスである、という風潮がはっきりと打ち出されてきました。

一体、いつからこのような傾向が主流を占めるようになったのかは、はっきりとはわからないのですが、男性の髭や体毛というものに対する女性からの嫌悪感や拒否感というのは、ある時期からすっかり定着してしまい、その傾向はますます強くなっているように感じられます。

女性が男性に求めている「清潔感」というのは、体臭などの大問題と並び、髭や体毛に左右されるものであるといってよいでしょう。

髭や体毛が受け入れられるのは難しくなってきた

明治時代の政治家の写真などを見ていますと、その髭のすばらしい繁茂に感動を覚えるほどです。

海外ではこのような髭をいまも見ることができますが、清潔感が要求される日本では、このような髭はすっかり見る機会が減ってしまいました。

それが現在の日本の社会なのだから、その風潮を受け入れるほかないのですが、また、明治時代の政治家のように髭を大胆に生やせるような社会が訪れないか、とわずかに期待してしまう自分がいるのは確かです。

そのような私のかすかな期待は余談でしかありませんが、現代の日本においては、とにかく、大理石を撫でるかのように、可能な限りつるつるでスベスベの肌であることが男性に強く求められています。

もちろん、すべての女性がそのように髭や体毛を拒んでいるのではありません。

セックスしてきた女性だけがソースなので、信憑性に欠ける話であることは自覚しているのですが、私が寝た女性のなかには、何人か、最近のつるつる・すべすべ肌、アンチ髭・体毛の風潮があまり好きではない、という女性もいました。

しかし、そういった女性は少数派であると言わざるをえないでしょう。

男性の脱毛サロンのシェアが拡大しつつある

もし、セックスやモテというものにまったく興味がないというのであれば話は別ですが、女性に気に入られたい、と考えているのであれば、髭や体毛といった障壁は早い段階で取り除いてしまったほうがよい

これが、現代日本を生きる大多数の男女の主流の意見であるということは、もはや疑いようがないのではないでしょうか。

「脱毛サロン」というのは、基本的には女性向けのサービスであると長らく思われてきました。

と、ついつい過去形で書いてしまいましたが、もちろん、現在においても、「脱毛サロン」の主要な利用層はまだまだ女性です。

「脱毛サロン」の経営も女性向けであることが多いですね。

たとえば、電車などに乗っているとかなりの高確率で眼にすることになる「脱毛サロン」にまつわる広告は、ほとんどが「女性」に向けられたもので、「男性」がモデルになっている広告というのはほとんど眼につきません。

インターネットの検索で「脱毛サロン」という文字列を入れてみて、画像の検索をしてみても明らかですが、上位の検索結果として出てくる画像は、ほとんどが「女性」「脱毛」にまつわる画像です。

男性向けの「脱毛サロン」は隠されている、とまでは言いませんが、男性向けの「脱毛サロン」というもの、「脱毛サロン」によるメンズの美容というものが、いまだにマイナーな位置に留まっている、ということは確かでしょう。

しかし、前述したように、男性であってもつるつる・すべすべの無毛の肌が求められる傾向が強くなっている昨今、男性向けの「脱毛サロン」が、一つの大きな潮流を築くことになるのは時間の問題であると言えるでしょう。

頬髯の永久脱毛を考慮する消極的理由

頬髯の永久脱毛を考慮する消極的理由

私自身は、女性から気に入られるためにする脱毛、というものにはそれほど興味がないのですが、「頬髯」だけは脱毛してもいいかもしれない、と思うことがあります。

先程、明治時代の政治家の髭の話をしたことからも明らかなように、私は、個人的には、すべての人がつるつる・すべすべの肌を要求されるのはどうなのだろうか、と考えて、訝っている側の人間です。

実際、まとまった休暇などができると、自分は、のちのち整えることを想定して髭を伸ばし放題にしたい、という欲望にかられます。

しかし、「まとまった休暇」などといっても、長くてもせいぜいが一週間程度ですから、そのような短期間で伸びる髭の長さなどははっきり言ってたかがしれています。

ですから、休日の二日目か三日目にはみっともない無精髭の状態になってしまうのであり、結局、やむをえない外出のために剃刀をあてがって、髭を剃り落とすことになるわけです。

「職場における髭の禁止、あるいは抵抗」というものがある以上、「髭を伸ばし、伸ばした髭をアレンジする」ということは、奴隷労働に従属している以上、難しいことと言わざるをえません。

髭を伸ばすという選択肢はあらじめ封印されている状況にあるといってもよいのかもしれません。

そうであるにも関わらず、飽きもせず、剃らなければならない髭は執拗に伸びてきます。毎朝のひげ剃りは煩わしく、どうにも面倒くさい。いくら剃っても夕方にはみっともなく髭が伸びてきている。

どうせこうして剃り続けなければならないのであれば、いっそ「永久脱毛」してしまえばいいのではないか。

そのように考える朝が何度もありました。

私のようなどちらかというと髭アリ派の人間が、わずかであれ「脱毛サロン」というものに興味を持ち、「頬髯だけの永久脱毛」について調べることになったきっかけは、「女性からの関心」というよりも、むしろ、このような「毎朝の髭剃り」という事情のほうが強かったのではないかと思います。

私の「脱毛」に対する興味は、「女性にモテるためなら積極的に『脱毛』がしたい!」というものではなく、「どうせ髭を剃らなければいけないのなら、選択肢の一つとして考えられる『永久脱毛』について考慮してみるか」という、少し消極的な興味であることは否めません。

デフォルメされた青髭というリトマス試験紙

『侍ジャイアンツ』というアニメをご覧になったことがある方がどれくらいいるのかはわかりませんが、あのアニメを見たことがあれば、作品のなかに出てくるミスター・ジャイアンツ長嶋茂雄の過剰な青髭に衝撃を受けなかった人はいないのではないかと思います。

私は、自分が「脱毛」というものについて考え、「脱毛サロン」の使用に逡巡するようなときは、この『侍ジャイアンツ』におけるデフォルメされた長嶋茂雄の青髭を改めて見るようにしています。

「確かに、この長嶋茂雄のような青髭の持ち主であったならば、『脱毛サロン』などに通い、頬髯の脱毛をしたほうがいいのかもしれない」と、「脱毛サロン」に対して肯定的な感情を抱くこともあれば、「男性の『脱毛サロン』というものが登場してもなお、このデフォルメされた長嶋茂雄のような濃厚な青髭のまま外に出ている人間がいたら、それは堂々としていて悪くはないな」という「脱毛サロン」に対して否定的な感情を抱くこともあります。

アニメではない、実際の長嶋茂雄の写真などを見ると、あのような「青髭」ではありません。むしろ、最近の写真などを見ると、まるで「脱毛サロン」にいったかのように「つるつる」の肌をしている。

この事実が、私を混乱させつつも、また、「脱毛サロン」に対する思索へと導くことになるわけです。

『侍ジャイアンツ』におけるアニメ化されて極端なデフォルメが施された長嶋茂雄の青髭は、私にとって「脱毛サロン」をめぐるリトマス試験紙のような役割を果たしてくれているように思います。

あの長嶋茂雄の常軌を逸した青髭の作画は、それを初めて見た子供のときから、私に強い衝撃を与え続けています。

それは「男性のための脱毛サロン」という考え方が出てくる以前から、「青髭は、アリかナシか?」という根本的な問題を私に与えたのだと考えています。

この問題に一応の回答が出ない限り、私は「脱毛サロン」の利用に踏み切ることができないでしょう。