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つらくきびしいバイナリーオプション

つらくきびしいバイナリーオプション

バイナリーオプションのHIGH&LOWゲームという丁半博打にも似た投機に安易に手を出してしまうときの危険性などは度外視して、まずは、バイナリーオプションというものにチャレンジして、「労働なしでお金を稼ごう」と決意する精神性と、それが揶揄される傾向について少し考えさせられることになりました。

バイナリーオプションを使ってお金を稼ごうとしている、あるいは、すでにある程度のお金を稼いでいる人たちに共通しているのは、「楽してお金を手に入れたい」という、ある意味ではかなり都合のよい精神性であると思います。

日本人は、「労働」に対する根強い奴隷根性のようなものが染みついている人が多いのですが、それは、そのように「労働」に身をやつすことでしか生きていけないように巧妙に社会が組み立てられてもいる以上、仕方のないことであるといえるでしょう。

ですから、「楽してお金を稼ぐ」ということに対しては、どこか「憧れ」をいだきつつも、それを実際に成功させている人に対しては、その奴隷根性から「抵抗」を表明する、というような傾向が強くあるように感じられます。

貨幣の残酷さは、貨幣に美醜がないということ

「『労働』をして額に汗をかいて手に入れたお金だけがきれいである。日給1万円のきつい肉体労働をして手に入れた1万円は美しいが、一時間程度の労力で楽して手に入れた1万円は汚い」

このような、一見すると正論にも思える「お金の美醜」に関わる問題は、上記したような奴隷根性のことを思うと、非常に厄介な、解消しがたい性格を持っているように思います。

このような正論じみた意見に対して、もし「疑い」を表明した場合、自分の「労働」を否定されたかのように感じるのか、激昂するような人もいるわけです。

そのような場面に立ち会うと、私は、血と汗に滲んでくしゃくしゃの紙幣を握りしめている姿を見るような気持ちになって、正直なところ、いたたまれない気持ちになります。

たとえば、スニーカーなどの転売で小銭を稼いでいる人間に対して「楽して金を得ている」というような揶揄をされることがあります。

ですが、彼らは、自分の頭を使って創意工夫して効率よくお金を手に入れているだけなのであって、彼らが手に入れた1万円は決して「汚いお金」ではありません。

むしろ、「労働」から軽やかに身を引き離しながら金銭を手に入れている姿は爽快ささえ含んでいるといえるでしょう。

かといって、それが「きれいなお金」であるともいえません。

お金というものの残酷は、そもそも、お金それ自体には「きれい」「汚い」もない、ということにあるのであって、それが「一万円」であった場合、どちらも「一万円」でしかない、というところに尽きるのではないかと思います。

手段が不正でもお金は汚くならない

「自分で稼いだお金」「人の金」も平等に同じ価値を持っているのであって、そのような、人によって付与される「思い込み」をはねのける残酷さこそが「お金」の特徴なのであって、自分の「労働」を正当化するために「お金」に何か特別な価値を与えてしまうことのほうがむしろ問題であるようにも感じられます。

「不正な手段」でお金を手に入れる場合、その「不正な手段」だけが汚いのであって、獲得する「お金」それ自体が汚いのではありません。

そして、私は「労働」というものが、お金を手に入れる手段としてそれほど「美しい手段」であるとも思えません。

「不正な手段」というものがあっても、「美しい手段」などはなく、「正当な手段」だけがあるのではないか、というのが私の考えです。

「労働」は、さしずめ「正当な手段」の一つでしかないでしょう。

バイナリーオプションは、その失敗時のリスクを度外視すれば、ですが、かなり「楽」してお金を手に入れることができる手段です。

そして、それは「不正な手段」ではなくて「正当な手段」であるでしょう。

そんな「不正な手段」ではないバイナリーオプションで手に入れる可能性がある「莫大なお金」さえも、また、そのように、「労働」の価値基準から見ると、「汚いお金である」というような扱いをされて揶揄されることがあるのですから、「働かないで手に入れるお金」に対する信仰にも似た感情が払拭される日は永遠に訪れないのかもしれません。

「労働」を介さずに「短時間で大金が得られる」というバイナリーオプションに関しては、私は、金銭を手に入れる方法として何一つ問題がないと考えております。

むしろ、バイナリーオプションで大金を得ている人に対しては、その類まれなる勝負勘でもって効率よくお金を稼いでいることに対する羨望のようなものが強くある、というのが正直なところでしょうか。

バイナリーオプションについて、その「得られる利益」についてだけ調べていると、愚直に「労働」をしている自分の境遇が情けなくなるくらいです。

バイナリーオプションは楽して大金を得られるのか

バイナリーオプションは楽して大金を得られるのか

しかし、「楽して短時間で大金を得る」以上、そこにリスクがないわけではありません。

バイナリーオプションにまつわるリスクについて考えていくと、「楽して短時間で大金を得る」ということを目指すことのほうが、むしろ、「労働」を通して愚直に金を稼ぐことよりも結果的には苦労が大きいのではないか、楽ではないのではないか、と思わされることがあります。

バイナリーオプションのHIGH&LOWゲームにおいては、かなり大雑把に言ってしまうと、基本的には「勝率5割以上」が目指されます。

バイナリーオプションで取引をするにあたっては、勝つにせよ負けるにせよバイナリー業者に支払う手数料が発生します。

バイナリーオプションにおける最低限の勝率5割というのは、業者に対する手数料を換算した上で、負けた際の丸損も加味して計算して導き出されたおおまかな確率です。

勝率5割を下回れば赤字、5割のキープでようやくプラマイゼロ、それを上回ってようやく利益獲得、というような「厳しさ」をバイナリーオプションは持っています。

この「厳しさ」を知らずにバイナリーオプションに手をかけた場合、「楽して短時間で大金を得る」はずが、「楽して短時間で、それほど儲からないか、損をする」ということになります。

短時間のHIGH&LOWゲームをだらだらと長時間続けた結果、最終的に大損をしてしまい、バイナリーオプションから身を引く、というのが基本的な敗北の流れということになります。

それが単純な丁半博打であるとはいえ、勝率5割以上をキープするというのは極めて難しいと言わざるをえません。

「楽して短時間で大金を得る」可能性があるが、その可能性が極めて低い、一部の人間だけが利益を得ることができるというのがバイナリーオプションという「正当な手段」の、「正当な手段」であるがゆえの難しさでしょう。

バイナリーオプションを通して確実に儲ける人

バイナリーオプションについて考えていくと、結局のところ、バイナリーオプションを通して金銭を確実に得られるのは、結局のところ、取引をするために手数料を支払うことになるバイナリー業者だけ、ということになりそうです。

「手数料」は、バイナリーオプションのHIGH&LOWゲームに勝った場合に得られる収益に比べるとわずかなものですが、すべてのゲームにおいて、取引するトレーダーの数だけ発生するものですから、それらを寄り集めれば相当の収益になります。

それに、その収益は、「確実」な収益でもあるでしょう。銀行に似ていますね。

バイナリーオプションというのは、一部の「楽して短時間で大金を得るトレーダー」と、「手数料の収益で手堅く稼ぐバイナリー業者」と、「楽して短時間で大金を得る、という夢をおいかけて赤字になるトレーダー」の三種類に大別することができるように思うのですが、当然ながら、最後の「赤字」のトレーダーの数が最も多く、バイナリー業者というのは、これらの「赤字」のトレーダーに支えられているというわけです。

これは、ほとんど「雇用主」がいて「労働」をして搾取される関係と変わらないように感じられます。ともすると、奴隷労働をするほうが、まだ、いくらか収益があるかもしれませんし「得」かもしれません。

「労働」で真面目に働くのも馬鹿らしいが、かといって、バイナリーオプションに手を出したからといって「楽して短時間で大金が手に入る」というわけでもないのです。

不正な手段をとる悪徳バイナリー業者はお金を楽に手に入れる

「きれい」でも「汚く」もないお金というものを、楽して効率よく手に入れたかっただけなのですが、やはり、それは「正当な手段」ではなく、「不正な手段」でしか手に入れられないものなのでしょうか。

バイナリーオプションの悪徳業者について調べて見ると、やはり「不正な手段」こそが、もっとも楽して短時間で大金が手に入れられる手段なのではないだろうか、ということを考えさせられます。

バイナリーオプションの悪徳業者の手口は非常にシンプルで、トレーダーが入金した投資資金を、そのまま盗んでトンズラする、というものです。

「不正な手段」としてあまりに単純で笑ってしまいそうになるほどです。

このような「不正な手段」が成立し、残酷な性格を持つお金が、「きれい」でも「汚く」もないまま、「汚い手段」をとった人間のもとに簡単に流れてしまうのは、ゲームという形の「正当な手段」を通して「楽してお金を手に入れよう」という人がいるからに他ならないでしょう。

バイナリーオプションも楽な逃げ道ではなかった

結局のところ、バイナリーオプションで損をする人間や、バイナリー業者の詐欺被害にあう人間というのも、「労働」の被害者なのではないか、と私は考えております。

というのも、「楽してお金を手に入れよう」という考えは、「労働ではないやり方でお金を稼ごう」という考えとほとんどイコールなのであり、「労働という手段で手に入るお金」が、その辛い労力に比して少なすぎなければ、そのような考えは芽生えないからです。

バイナリーオプションのような「都合のいい話」というのは「労働」とセットなのであり、奴隷労働に嫌気がさしている人の鼻の前にぶらさげられたニンジンのようなものに過ぎないのかもしれません。

どのような方法であれ、現今の社会においては、人は、お金を稼がなければ生きていけません。

何らかの変革があり「お金を稼がなくても生きていける」という世界が訪れれば、人は労働をしなくてもよいし、貨幣のための労働がない以上、楽して貨幣を得るためのバイナリーオプションのような逃げ道を探さずに済むのかもしれませんが、いまのところ、その気配はありません。

バイナリーオプションでわずかな夢を見て、また、過酷な奴隷労働に戻っていく。

その場所に戻りたくないのであれば、何か、「不正な手段」で金を巻き上げるしかない。

「不正な手段」で稼いだところで、その「お金」「きれい」でも「きたない」のでもないのだから、「不正な手段」を平気で行える人間だけが「勝つ」わけです。

こうやって、お金のことばかり考えていると、自分たちのいる場所にはどこにも逃げ場がなく、労働だけがあり、人を人とも思わない人間だけがうまくいくように思われてきて、暗澹たる気持ちになってきますね。